『イクメン』という言葉がなくなる日はいつくるのか

イクメン」とは、子育てを楽しみ、自分自身も成長する男性のこと。

または、将来そんな人生を送ろうと考えている男性のこと。

 

これを推進しようという動きはよいと思うのだが、

まだまだ推進されていない社会だからこそ存在する言葉ともとれる。

たまの土日などに子供と公園に遊びに行ったり、洗濯物を片づけたり

料理をしたりする男性は「イクメン」の称号を得られると思っているだろう。

 

ただし本来は夫婦がお互いの得意分野を考慮して役割を均等に近づけて

分担することが重要なのであり、上記のようなタスクをこなすことが「イクメン

というわけではない。「料理してやったのだから自分はイクメンだよ」

と鼻高々にしている夫を冷たい視線で見つめる妻、という構図もあるようだ。

 

あるラーメン屋でのこと。

赤ちゃん連れの夫婦が食べに来ていて、母親が赤ちゃんを抱っこしながら食べていた。

父親は食べ終わったというのに母親に抱っこをさせ続けた。

慣れているとはいえ抱っこしながら食べるのは少なからず大変だ。

抱っこしてあげればよいのに、そして母親はそう主張してもよいのに。。

食後は父親が抱っこして店を出た。

(抱っこするタイミングおかしくね!?と心でツッコミ)

 

そのときに応じて必要なタスクをどちらかできる方がやるというように

夫婦が柔軟に協力しあうという当たり前のことが社会に浸透すれば

イクメン」などという言葉も必要なくなるのだろうし、そうなればよいなと思う。

 

ももたんの成長に『子育ての喜び』を強く感じた日

なんとも情けないが久しぶりに風邪を引いた。

熱は39.2度。しかもタイミングが最悪だ。

 

朝10時から「キドキド」という子供達の楽園に遊びにきた。

大きなボールプール、トランポリン、プリンセスへの変身コスプレ、

巨大なシェアキッチンなど子供達は目をキラキラ輝かせる室内遊び場だ。

kidokid.bornelund.co.jp

 

ともちゃんが仕事に向かう時間になりお別れ。

ももたん・みーたんともう少し遊び、結局11時過ぎくらいに退場。

最初はきつくなかったが、11時前くらいから徐々に体調が悪くなってきた。。

そしてその次のタスクである実家への旅である。

実家へ帰る途中スーパーに寄ってお昼ご飯の買い出しをしたのだが

いよいよやばくなってきて発熱しているだろうという状態まできた。

 

ももたんはそんなパパを心配してくれて買ったものを袋に詰めたり

袋をもってくれたりしながら「なんでも手伝ってあげるからね」と言ってくれた。

 

そして実家ではなんとか昼食を済ませ、早々に帰宅することに。

なんとか無事帰宅したがあいにく義理の母も朝から外出しているので家には

愛犬3匹がいるのみ。でも寝ないとアカン状況だったのでももたんに頼るしかない。

ももたんにみーたんが寝てるのでうつ伏せになる、何かに引っかかるなど

変な態勢にならないか、泣いて起きたときなどはパパを起こすように言った。

またこんな状態なので一緒に遊ぶことはできないから一人で遊んでいてほしいとも。

 

ももたんに任せた後1時間弱眠り、おかげで少しは回復できた。

途中でうっすら目が覚めたときに耳にしたのはももたんの声。

「あ、みーたん起きたの?おはよう」(みーたんは寝ぼけてすぐ寝たらしい)

ちゃんと見てくれているし、パパの布団も飛び出した足などにかけなおしてくれた。

感動。。

 

ほどなくして義理の母・妹達が帰宅してあとはお任せモード。

ももたんがいて助かった。

パパが寝ている間一人で遊んで、寝ている赤ちゃんを見ていてもらう

という当たり前で大したことないことかもしれないがそれでも助かった。

パパがダウンしてその他に大人がいない状況でよく我慢してくれた。

その成長、うれしいぞ!と思った今日この頃。

こんな手紙も書いてくれて涙が出ました(笑)

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表面(だそうだ)はなぜか雨。

その裏面に「パパへいつもえがおでありがとう」と本人は書いたそうだ。

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書いてあるものはどうあれ内容に感動ですね。。

『5日間で自分の考えをつくる本』を読んでみた

自分の意見がないと言われることについて考える、
そのヒントを得ようと読んでみた本はこちら。
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【要旨】
自分の考えを持つことは人間関係をより深いものにするために役立つ。
そして丸暗記や与えられた問題を解くのではなく、自ら考えないとスピーディーな
この時代では生き残れない。次のステップを踏んで考えるトレーニングをするのがよい。
1.レビューを書く
2.先人の思考パターンを知る
3.生活習慣の見直し
4.読書
5.意思決定に挑む

【気付き・所感】
物事をどうとらえて考えて自分の意見を持てばよいのかという点については
あまりヒントを得られなかった。
ただしレビューの書き方や考えるためのワザ紹介、読書の仕方は参考になった。
ブログについても人に役立つ情報発信をすることは有用だと思った。
今後は徐々に意識を変えていくことにしたい。

【個人的なほぼ抜粋メモ】
・自分の考えとは、8割が事実で2割が自分の独自色なのである
・自分のお金で本を買う(身銭を切ったのだからしっかり吸収しようという心理が働く)
・物事は「この角度で捉えればこう見える/感じる」わけで「これは何々である」
 と断言はできない
・できる人は自分の言葉(キーワード)を持っている
・「」で囲うとキーワード風になる(明治大学ラグビー部のスローガンは「前へ」)
・考えるワザ
 ・比較する
  ・差異に着目(対象の特徴を捉えられる)
  ・文章は分解して読む(筆者の主張とそれ以外に分解して比較する)
  ・似つかぬ物の共通点を探す
 ・弁証法的に考える
  ・アンチテーゼはアウフヘーベンに必要なこと(対立と矛盾を奨励する)
 ・現象学的に考える
  ・思い込みを取り払い、その事象自体を見みる(一般論と実情の差異は突き詰める)
  ・アウトプットを前提に観察する
  ・童心に返る
 ・システム思考
  ・全体を俯瞰する
  ・ゲシュタルトでものごとを見る
・人に言われて納得した事(ここでいう考えるワザ)はただちに実行に移す
・ある対象を輝かせようと思うなら、そのものではなく額縁で引き立たせることを考える
・「無茶振り」がなければ頭は動かない
・本は2割(重要部分)を読めばその本の8割を吸収できる
・2割を読むのは洋服屋で自分に関係のある商品を瞬時に見分けることと似ている
・親書は30分で読む(目次=俯瞰図、要約を見る、重要そうな3つ程度の文を引用する

親は可能な限り『ゆとり』をもってなんぼ

みーたんは順調に成長中。

最近嬉しいなと思ったのはある日の昼間にだらだらと布団で過ごしていて

みーたんのとなりでももたんと遊んでいた。

ハハハと笑っているとみーたんもつられて笑ったのだ!

 

え、つられて笑ってるー!と感激した。

みーたんよ、君は可愛すぎるよ。

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こうやって平和に過ごす時間をしっかりと確保できるように、

親がゆとりを持てるよう行動するが重要なのだ。

 

コンビニで考えさせられた『最高のサービス』

会社で残業があり、プチ夜食をコンビニに買いに行ったときのこと。

購入したのはレーズンロール、お茶、ホットスナックのうま辛棒。

 

店員さん「あたたかいものと袋をお分けしますか?」

自分「ああいいですよ一緒で」

店員さん「恐れ入ります」

 

とこんな場面ありますよね。

ここでの店員さんの対応方法によって満足度が大きく変わります。

 

ひとつの袋に買ったものをつめこむわけだが、

お茶とうま辛棒を隣り合わせにしてしまう店員さんがいる。

確かに一緒でいいですよと言ったのだから文句をつける権利はない。

ないのだがデキる店員さんはお茶を端に入れてレーズンロールを仕切りのように入れ、

もう一方の端にうま辛棒をいれるのだ。

つまりレーズンロールが壁の役割を担い、冷たいお茶とホットスナックが

お互いの良いところをつぶし合わなくてすむようなソリューションなのだ。

 

このようにお客様がサービスのハードルを下げてくれたときの対応として

下がったハードルをぎりぎりで飛び越えればそれでよいのか。

(一緒の袋でいいのならお茶とうま辛棒が隣り合ってもお咎めなしのはずという考え)

それとも下がったハードルでも持てる力全てを出し切って飛び越えるのがよいのか。

(一緒の袋でいいとはいえお茶とうま辛棒はできるだけ離れるよう配慮するという考え)

 

『最高のサービス』を追究するには後者の考えをもつことが大事なのだ。

コンビニの買い物でそんなことを考えさせられ、『最高のサービス』を提供できるよう

頑張ってみようかねと思った今日この頃。

多摩動物公園に行ってきた!

久しぶりに家族4人で朝からお出かけ。
ももたんがコウモリを見たい!という珍妙な思いつきから多摩動物公園へ。

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いい天気で朝から活動するととても気持ちがいい。
多摩動物公園は大混雑ではなく、園内には3か所の授乳スペースがあり
赤ちゃん連れでも安心して遊びに行ける所だった。
八王子市民としては近場でわりと楽しめるオススメ所だ。
電車が好きな人は多摩動物公園駅京王れーるランドがあり、
子供向けにもミニ電車があるのがうれしいところ。

みーたんも初めての動物園。
まだそんなに反応しないかもだけどとりあえず楽しんでくれると嬉しいな。

残念ながらお目当てのコウモリは随分前に展示を取りやめてしまったようだった。
ももたんは落胆したもののなんとか気持ちを切り替えて他の動物を見ることにした。

まずは蝶などの昆虫から。
虫が大嫌いな自分としては大変イヤな空間だったがふと奥義を編み出した。
奥義メガネを外して歩くの術である。
順路を見失うほど視力は低下していないので危険性はない。
にもかかわらずおぞましい虫の姿にすべてモザイクがかかるのだ。

あとはぞうさんチンパンジーやきりんなど基本的な動物を見て楽しんだ。
おさるさんも暑かったようです。

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ランチはともちゃんが作ってくれたお弁当をみんなでいただいた。

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みーたんもご満悦。
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小学生に対して『下手くそ』という言葉は有効なのか?

とあるスポーツの練習(小学生)を見学する機会があった。

そのなかで「下手くそ!」という声が聞こえて不快感を抱いた。

それはコーチが教え子に向けて放った言葉。

 

確かにそれは愛のある指導のひとつであり、効果的なことが多いのかもしれない。

でもあまりそういう環境で育ってこなかった、かつバスケが下手くそで

人並みにできるようになるまである程度努力してきた自分としては不快。

下手と言われてどうしていいかわからなかったり、自覚しているところに

さらに怒鳴られるのは気分が悪い。そんな感情を小学生は抱かないのか。

 

そもそも下手くそだから習っているのであって、教えている当の本人が

下手くそ!と言ってどうするのか。

 

下手、要領が悪いというならば悪いところを指摘して教えればいいのではないか。

下手くそ!と言われ、それに対して「こんちくしょー!次こそは!」とか

次につながるバネにすればよいのかもしれないが誰かに負ける、試合に負ける

という経験こそが「悔しい!次こそは負けない!」という闘争心を生む。

ならば、わざわざ指導者がその役割までかってでる必要はないと思う。

 

まずとっさにこんな考えが浮かんでモヤモヤしていたものの、

小学生の指導方法をまったく知らない自分に見えていないものがあるのかもしれない。

そのあたりはコーチをしている人々から学び取りたいと思った今日この頃。