『ガキの使い 笑ってはいけない』の黒人差別問題?
話題の差別問題について思ったこと。
差別に当たる・当たらないは正直わからないが騒ぎ立てる人がいる、
という配慮を番組制作者はしておくべきだったということなのだろう。
個人的には差別に当たる・当たらないが次の点でわからなかった。
・「差別だ」と発信すること自体が差別を生むのではないか
・肌の色が黒い人の真似をするのに黒いメイクをすることが問題なのか
特徴を真似ることが差別に当たるならばコロッケさんはレイシストなのか
・黒い浜田さんだから笑えるのであって黒いことを笑っているのではない
・そもそも日本において黒人を嫌う文化はなく、当然番組でもバカにしていない
ちょっと脱線しますが差別に関する日本の学校とインターナショナルスクールの
アプローチの違いについてつぶやきがあり、ネットでの様々な反応があったそうな。
子供をインターに入れて、思ったこと
— ムーチョ@ホームステイのホスト (@mucho) 2017年12月26日
日本の学校「差別はいけません。みんな同じ人間なのです」
インター「差別はいけません。みんな違う人間なのです」
同じこと言うのにアプローチが全然違う
このつぶやきだけでは何が言いたいのかわかりませんが、
日本の学校はいまひとつという結論だろうと推測したうえでの様々な返信あり。
やれ日本は単一民族で島国だから~、日本の教育はだめだ、人間は平等ではない
など、、、
つぶやきの結論は不明なままですが個人的にはどちらのアプローチも必要と思います。
1.「みんな同じ人間」→特徴は異なれど同じ「人間」でしょ、ということ
2.「みんな違う人間」→特徴も違うし考え方だって十人十色でしょ、ということ
自分の趣味はバスケなのでバスケで考えてもすぐわかること。
勝つことという共通の目標をもったチームメイトはみんな同じ仲間。
同じ仲間ではあるがもちろん個々の身長や身体能力、考え方は違う。
違うものをもったチームメイトが集まり、共通の目標に向かって力を合わせたときに生まれる一体感とその成果は素晴らしいものだ。
なので上記2つのアプローチは両輪のようなものでどちらも欠かせない。
そう思うに至った自分は日本の学校教育にどっぷりと浸かってきているので、2.の視点が日本の教育から抜けおちているとは思はない。
よって差別に関して日本人の意識が低いとか遅れているとは思わない。
ヨタヨタとまとまりなくと書いてしまいましたが、差別することは反対ですが
差別問題は永遠になくならないのでしょうね。。
過去に起こした人類の過ちを無かったことにすることはできないけれど、
その過ちをえぐり続けるのではなく真摯に受け止めて前向きに考えられる世の中だといいですね。