世の主婦は負い目を感じる必要なし

今日はともちゃんの高校時代からの友達が我が家に集まってお茶会をした。
自分も面識があるメンバーなので同席。結婚前から知っているメンバーなので、
みんな生後2〜11ヶ月の赤ちゃんを連れてきているのがなんだかおかしかった。
ちゃんとママになっていた(笑)

自分はとりあえずイクメンアピールをして自己満足に浸る。
そんななか小耳に挟んだ「なんか働いていないから負い目を感じて・・」
というのがひどく気になった。

負い目など感じる必要はないと思う。
ただ役割が違うだけである。

趣味のバスケで例えれば、センタープレイヤー
「自分はスリーポイントシュートを打つ機会はあまりないし、
打ったとしても成功率は決して高くないからメンバーに負い目を感じる」
と悩んでいたら周りのメンバーはどう思うか。
「いやいや、スリーポイントシューターがいるのだからそこまで必要ないよ」
と思うだろう。センターとしてできること(リバウンド、ゴール下のパワープレイなど)
は逆にスリーポイントシューターにはあまり求められない。
個々のプレイヤーが役割分担をして弱いところを補い合うことで
共通の目的であるゲームの勝利に貢献する。

これと同様にフルタイムはフルタイムにしかできないことをやる一方、
主婦は主婦にしかできないことをやっている。
拘束時間の長短や作業負荷について両者を単純に比べることはできない。
育休をとっている身としてこの考えに間違いはないと思う。

ちょこっと聞いてみると「意外と自分の時間はある」といった声が聞こえたが、
フルタイムで働く身であっても意外と自分の時間はあるものだ。
例えば読書する時間がまったくとれないという人がたまにいるが、
通勤電車で片道10分・昼休みに10分・寝る前に10分という時間を確保して
1日40分の時間を読書に当てられれば1ヶ月で何冊か本を読めないだろうか。
そしてそれはそんなに難しいことではないはず。
「フルタイムは主婦に比べて拘束時間が長いんだからきついよ」
という声が聞こえてきそうだがそういう人は主婦と同じ時間を過ごしても
結局読書する時間をほとんど確保できないだろう。
パーキンソンの法則が大いに参考になる)

また、「子どもが寝ている間は一緒に寝ていれば良い」とも聞こえたが
逆に言えば子どもが起きている間は何時であろうと起きていなければならない。
そういう意味で拘束時間という言葉はあまり意味をなさない。

「主婦なんだから○○をやる時間くらいあるでしょ」
という発言は論理が破綻している。

そんなわけで変な負い目を感じずに胸を張って主婦をやるといいんでないかな
と思った今日この頃。